考察:アカデミー賞に殴り込むNetflix4作品

NETFLIX

アカデミー賞候補のNetflix4作品が描く”現代という地獄”

現在のハリウッドではNetflixやAmazonといった映像配信サービスが最も野心的なスタジオと呼べるかも知れない。リスク回避よりも作家性を重んじ、いま世に問うべきという当事者意識がダイレクトに反映されたラインナップ。今年の第89回アカデミー賞でNetflixオリジナル作品が4本もノミネートされた。ShortCutsでは4作品すべてのレビューを掲載。そしてこの4本を俯瞰で眺めると、現在配信系が担っている役割の大きさが見えてくる。

 2017.2.26

2016年の一年間に、アカデミー賞候補に挙がる作品を4本世に送り出したNetflix。これは作品の規模だけで見れば、動画配信サービスがハリウッドの大手スタジオと肩を並べたとは言い難い。しかし、映画という表現のポテンシャルを追及する上で、もはや配信サービスは大手スタジオ以上に重要な役割を担っている。
 
例えばアカデミー作品賞以下4部門にノミネートされている『最後の追跡』。この映画は多くの人が指摘している通り「アメリカン・ニューシネマの現代版」と呼ぶべき犯罪ドラマだ。
 

現代版アメリカン・ニューシネマが失ったもの

とある事情で農場を手放す寸前の苦境に陥った兄弟が、銀行強盗で危機を乗り切ろうと画策する。兄弟は強盗を繰り返しながら逃亡を続け、その跡を引退間近のベテランテキサスレンジャーが追いかける。ただし邦題から連想できる追いつ追われつの追跡劇ではない。むしろ、ままならない社会と人生への行き場のない憤りを、停滞した空気感に封じ込めたやるせない一作であり、1970年前後に「夢と理想の敗北」を謳い上げたアメリカン・ニューシネマに準えられるのも納得だ。
 
ただし『最後の追跡』には、かつてのニューシネマにあったロマンチシズムはもはや存在しない。高橋諭治さんが『最後の追跡』のレビューで書かれていた一節を引用する。
 
「そして本作が色濃く映し出すのは、かのドナルド・トランプが圧倒的な支持を集めた、現代の政治やグローバル化から置き去りにされた世界だ。町からは活気が失われ、金貸しの看板やイラク帰還兵の悲痛な落書きがあちこちに目につき、広大な牧場は石油を掘るエネルギー企業に買い占められている。古き良きアメリカンドリームのなれの果てがここにある。」
 
この映画で描かれている疲弊した現代のテキサスを、ドナルド・トランプの支持層と重ねてみせた高橋諭治さんの指摘にはただただ納得である。『最後の追跡』は確かに「アメリカン・ニューシネマの現代版」だが、ドナルド・トランプを大統領に押し上げてしまうほどのリアルかつヘビーな閉塞感がわれわれを映画の夢から醒めさせる。「敗北」にひと匙の甘美さを味わう余裕すら、現代という時代では許されていない。
 
一方長編ドキュメンタリーの『13th -憲法修正第13条-』は、いかにしてアメリカンドリームが腐り落ち、“なれの果て”に成り下がったのかを歴史的な観点から暴き出す悲痛な告発だ。概要はキーツ氏のレビューに詳しいが、「そもそもアメリカに理想などあったのか?」という痛烈な問題提起が作品の核になっている。『イージー・ライダー』のワイアットとビリーの敗北は「個人の敗北」だったとすれば、『最後の追跡』で描かれる敗北はもはや搾取のシステムが作り上げたシステムによる必然だった気がしてくる。
 

政治を語ることを厭わないNetflixのビジネスモデル

注目すべきは、この政治的に対になる2作品が、おそらくNetflixが主導したわけでもなく、数あるNetflixオリジナル作品の中に混在していること。Netflixは確かにオリジナル作品に力を入れているが、決して政治的なメッセージを前面に打ち出しているわけではない。『フラーハウス』のようなファミリードラマもあれば、アダム・サンドラーのバカコメディもあり、独占配信の権利と引き換えに各作品に出資しているに過ぎない。しかし同時に、政治的なメッセージを前面に打ち出した作品への出資に躊躇しない覚悟を持った会社であるとも言える。
 
大手のスタジオが「商業ベースに乗らない」「リスキーすぎる」と拒絶する企画をNetflixやAmazonのような配信サービスが拾い上げ、アカデミー賞候補という目に見える形で作品の価値を証明した。配信系サービスは確実に映画というメディアの停滞に風穴を開けようとしているのである。
 
Netflixは『最期の祈り』で、自社ブランドの短編ドキュメンタリーに初進出した。同作は終末期医療の最前線で、医者は、患者は、家族はなにができるのかを問いかける意義深い作品だ。正直出資を得るのが難しいテーマであり、また多くの人の目に触れる機会の少ないジャンルだろう。しかしここにも「現代という地獄をどう生きるか?(もしくは死ぬのか?)」という『最後の追跡』や『13th -憲法修正第13条-』と同じ視点が浮かび上がる。
 
茅野布美恵さんがレビューで書かれている通り、『最期の祈り』は、誰もが個人としていつしか向き合うことになる「自分の、あるいは家族の死」についての問いかけである。同時に、延命措置という選択を手に入れた医療システムが、ルーティーンの中で個人の選択肢を奪ってしまう社会の現実も描いている。そして死を先延ばしにすることが幸福だと無邪気に信じるには、われわれの既に価値観は確たるよりどころを失っているのだ。
 

アカデミー賞も認めざるを得ない動画配信サービスの存在感

『最期の祈り』と同様に短編ドキュメンタリー賞にノミネートされた『ホワイト・ヘルメット -シリアの民間防衛隊-』も、内戦に苦しみ空爆に晒されるシリアという「現代という地獄」にまつわる映画だ。
 
「アメリカの現代」を描いた上記の3作品と並べると、『ホワイト・ヘルメット~』の爆炎と瓦礫の世界は遠いできごとに見えるかも知れない。が、シリアの人々の頭上に降り注ぐ爆弾が、シリア国内の内戦のせいというだけでなく、グローバル経済という巨大なシステムが複雑に絡み合った結果であることをわれわれは知らない振りをするわけにはいかない。戦火で救命活動にあたる人々も、『最後の追跡』の強盗に奔る農場主の暴走も、個人が虐げられる現実に「NO!」を突き付ける精一杯の叫びなのである。
 
はっきりと言えるのは「Netflixが出資したこの4作品が、同じテーマを扱った連作としても成立しているということ。テキサスの銀行強盗も、病院で死を待つしかない患者も、犯罪者のレッテルを張られた黒人の囚人も、シリアの瓦礫をかき分けるボランティアも、この世界の持たざる者であり、命と尊厳が危機に瀕しているという点で地続きなのだ。
 
映画が常に政治的である必要はないが、現在のハリウッドメジャーは中国資本と結びつき、メガヒットを見込んだ大作化の傾向に拍車がかかっている。正直、中小規模の真摯なテーマを持った作品がわれわれの目に触れるためには配信サービスがもはや必須であり、その傾向はさらに強まっていくはずだ。作品として優れていることが大前提だが、映画が時代と対峙し、名もなき人々に視線を向けてきた歴史が配信サービスによって継承されるのなら、こんなにありがたいことはない。今回のNetflix4作品ノミネートは、“映画の良心”の行き先を明示してくれているのではないだろうか。
 
(文:村山章)
 
・『最後の追跡』レビュー/高橋諭治
http://www.shortcuts.site/piece/2529
 
・『13th -憲法修正第13条-』レビュー/キーツ
http://www.shortcuts.site/piece/2603
 
・『最期の祈り』レビュー/茅野布美恵
http://www.shortcuts.site/piece/2557
 
・『最期の祈り』レビュー/村山章
http://www.shortcuts.site/piece/2552
 
・『ホワイト・ヘルメット -シリアの民間防衛隊-』レビュー/村山章
http://www.shortcuts.site/piece/2597
 
※いずれもNetflixで独占配信中