新宿ボーイズ

ShortCuts編集部

規則を破っていくパイオニアを撮りたい 『新宿ボーイズ』キム・ロンジノット監督インタビュー

新宿・歌舞伎町にあった"おなべバー"「ニューマリリン」。1995年、3人のホスト、ガイシュ、タツ、カズキの生き方を追ったドキュメンタリー映画『新宿ボーイズ』が作られました。まだ今ほどLGBTQ+という言葉が浸透していなかった時代ながら、驚くほどしっかりした人生観を持つ若い3人。その魅力が詰まった本作は、今でも世界各地の映画祭などで上映されています。

 2025.6.24

キム・ロンジノット監督は、本作のほかにも宝塚音楽学校の学生たちの下積み生活の様子を収めた『ドリームガールズ』(’93)、女子プロレス団体・GAEA Japanの合宿所に密着した『ガイア・ガールズ』(’01)といった、既存のジェンダー規範にとらわれない生き方をする人たちについての作品を撮ってきました。その理由や撮影対象の言葉をいかにして引き出してきたのかなどについて、監督に聞きました。
 

宝塚スターがつないだ、勇敢な3人との縁

 
――「OUTCAST Film Festival」での『新宿ボーイズ』上映後トークで、真矢ミキさんにニューマリリンについて教わったということを話されていて驚きました。
 
キム・ロンジノット(以下KL):彼女は本当にカリスマ性があって、私たちも撮影しているうちにファンになりました。『ドリームガールズ』撮影初日は、花組などいろんなグループのリハーサル室を「入りづらいな……」とずっと覗いて過ごしていました。そうしたら真矢ミキのグループの部屋の前を通った時に、彼女が「入りなよ」と言ってくれたんです。
 
彼女に「宝塚は想像と違った、私が通っていた寮制学校のように厳しい場所だ」と話していた時に、「次はニューマリリンに行ったらいいよ」と勧められたんです。宝塚では男役の俳優も舞台を降りれば女性に戻りますが、ニューマリリンに行けば、女性として生まれ、男性として生きる人たちがいるよと。とても興味を持って、また日本に行きたいと思ったので、ニューマリリンのオーナーに連絡しました。
 
――『新宿ボーイズ』撮影にあたってなにか準備されたことはありますか?
 
KL:幸運なことに、撮影しながら発見していくような形で進めることができました。当時はネットに情報はありませんでしたし、ニューマリリンクラブについて事前に調べられることはほとんどありませんでした。実際に行ってみて、イングランドから来た変な3人組に撮影なんてされたくないよと言われたらどうしようと思っていました。でも結果的にガイシュたち3人は私たちを信頼してくれたし、そうする勇気を持っていたんです。
 
3人は社会の規範からは外れた人たちである意味アウトサイダーだけれど、私も常にアウトサイダーであると感じてきたので、とても親しみを感じたし、素敵な3人のことが大好きになりました。私たちを人生に招き入れてくれて、ランチ食べてるからおいでよ、スーパーに行くからおいでよ、デートに行くからおいでよと声をかけてくれたんです。ガイシュのデートには3回か4回ついて行ったと思います。カズキは「お母さんに電話するから応援してくれる?」と連絡をくれました。とてもありがたかったです。
 
――何が3人を勇敢にしたと思いますか?
 
KL:何でしょう。チャンスを見出したのだと思います。ありのままの自分たちを見せる機会はそうないぞと。人に知ってもらい、見てもらい、理解されることは嬉しいですしね。映画をつくる小さなチームの一員になることを楽しんでくれたと思います。
 
私は撮影している相手がそれを楽しんでいることがいちばん重要だと思います。この作品について好きなのは、3人が居心地悪く感じているんじゃないかと心配しなくてよかったことです。
 
スーツを着て帰り道を歩くシーンは特に気に入ってくれたと思います。音楽も時間をかけて選びました。明け方に帰る姿がスターみたいですよね。あのシーンは一晩中働いた彼らに捧げるオマージュです。
 

逐一通訳はしない、撮影のこだわり

 
――撮影中は、どのようにコミュニケーションをとっていましたか?
 
KL:東京に住んでいたジャノ(共同監督のジャノ・ウィリアムズ)にお願いして通訳してもらいました。彼女には花柳幻舟についてのドキュメンタリー映画『Eat The Kimono』(’89)の時も、手伝ってもらったんです。彼女は男性のパートナーから日本語を学んでいて男性っぽい日本語を話すのですが、幻舟はそんな外国人である彼女が気に入ったようでした。ジャノは撮影した誰とでも仲良くできたので助かりました。
 
撮影中は、たとえばガイシュとガールフレンドが ベッドで話しているシーンでは、ジャノと私は目の前の床に膝をついていました。小さい部屋で、本当に腕を伸ばせば届くくらいの距離でした。
 
ジャノと私は事前に何を撮りたいか、何をしたいかをたくさん話し合って、あとは私は静かに座っていました。最初はジャノがガイシュと話をして、ジャノが今だと思った時に私に合図して撮影し始めるんです。それからは英語で話すことはありません。監督が撮影対象の言語を話さず逐一通訳させる現場にもいたことがありますが、それはあまり良いマナーだと思えないんです。
 
なので私たちは撮影中は話さず、帰ってからジャノに「何て言っていたの?」と聞きました。「私たちがいたせいか、ガールフレンドがもっと積極的だったよ」なんて話していました。
 
キム・ロンジノット監督
オンラインでインタビューに応じてくれたキム・ロンジノット監督
 
 
3人とも個性がかなり違ったことは、とても幸運でした。タツは自分を男としてみていたけど、ガイシュは男にはなりたくなかった。ガイシュはガールフレンドにとてもうまく説明していましたよね。男性だとも思わないけれど、女性だとも思わない。そのあいだな気がすると。
 
――撮影時、ガールフレンドやクラブのスタッフ、お客さんなど周りの人の反応はどうでしたか?
 
KL:みんな優しくてとても協力的でした。誰も撮影を止めようとする人はいませんでした。
 
これまで良くない対応を受けたのは、『ドリームガールズ』当時の宝塚の校長だけです。女子たちに話しかけるな、これは撮っちゃダメ、あれは撮っちゃダメと言われました。寮制学校の先生たちを思い出しましたね。私の映画は権力を問うようなものでもあると思います。ヒーローは権力を持つ人ではない、校長ではないんですよね。
 
――『ドリームガールズ』はそうした批判的な側面も読み取れますが、ナレーションなどの説明がないのが印象的でした。
 
KL:それはかなり意図的です。私自身の感情を乗せたくないんです。あなたがどう感じるか、自分で決めてほしい。『ドリームガールズ』では、女子生徒たちが国旗の前でお辞儀をする場面がありました。とても軍隊的ですよね。私の寮制学校もそうでした。軍営キャンプのように走らなければならなかった。
 
でも、そうしたことへの批判は、生徒たちや画面の中に見えるものから読み取ってもらわなければならない。私は物語を撮影しているだけなんです。
 

“理想的な女性””理想的な男性”とは?

 
――当時よりも性的マイノリティについて社会で知られ、議論されるようになりましたね。
 
KL:変化はとても大事なことです。議論もされず、オープンにできない状態では、偽りの人生を生きなければならない人がたくさんいます。
 
昔から、私の周りには”女性らしい”女性にはなりたくない女友だちがたくさんいました。そうなるように厳しく育てられ、ドレスを着せられてきましたが、そうはなりたくなかったんです。そのうちの何人かは男性になりたかったし、何人かはただ”女性らしい”女性にはなりたくないだけで、そのあいだになりたい人もいたし、皆それぞれでした。
 
私たちは撮影時はパンツにブーツをはいて機材を持った仕事用のスタイルでしたが、そのような格好の女性は当時の日本ではあまりいないようでした。それが『新宿ボーイズ』の現場では馴染みやすかったのかもしれません。
 
『新宿ボーイズ』劇中画像
 
 
――日本のことに関心を持ったきっかけは何かありましたか?
 
KL:小津安二郎や黒澤明などたくさんの日本映画を観てきましたが、男性があまり物を言わないことに驚きました。寝そべっているだけで女性が世話をしてくれるんです。
 
また、映画学校在籍時に観た『雪之丞変化』がとても印象に残っていました。女性の役しかやらない男性役者の話で、女性たちは彼に恋をしますが、劇中彼を男性の姿で観ることはない。それはすごいことだと思いました。観客は彼を男としても女としても見ることができている。簡単なことではありません。ただそれから歌舞伎の成り立ちを教わって、状況はもっと複雑だということを知りました。
 
「理想的な女性を演じられるのは男だけ」と聞きましたが、それは興味深いと思ったんです。宝塚はある意味その裏返しですよね。女性だけが理想的な男を演じられると言っているのですから。そして皆さん、宝塚スターこそが理想的な男性像だと言います。女性だけがあんなに紳士的で理解があって美しくなれる。とても面白いですが、複雑です。
 
その後花柳幻舟について知って、日本に行ってみたいと思ったんです。彼女は映画で観たどんな女性とも違って、危険を冒して自身の人生を変えました。
 
私たちがいた時は、日本はいろんな面で時代の先を行っていました。でもゲイの人たちの権利という面では足りていなかった。その矛盾が興味深かったんです。すべては複雑で、一面的ではありません。
 

アウトサイダーと感じるから、パイオニアに惹かれる

 
――題材を選ぶ時は、どんなことが決め手になるのでしょうか。
 
KL:日本でもイギリスでもどこの人であっても、私が惹かれたのは、規則を破っていくとても勇気のあるパイオニアである人たちです。
 
新宿ボーイズの3人も、花柳幻舟もそうでした。『ガイア・ガールズ』のレスラーたちも、黒澤映画で観てきたようなおとなしくて従順な日本の女性ではありません。型にはまらない、革新的な、人生を変えようとしている人たちに惹かれるのだと思います。自分の人生を変えようとすることで、彼ら・彼女らはほかの人の人生を変えたんです。
 
――「パイオニアを撮影したい」と思うようになった特別な理由やきっかけはなにかありますか。
 
KL:自分をインスパイアしてくれる、変化の一端を担う人についての映画を作りたいといつも思ってきました。私も寮制学校でずっとアウトサイダーとして扱われてきましたが、自分では反抗することができなかったからかもしれません。勇敢で、反抗したことで退学になった女子たちをいつも尊敬していました。
 
――差し支えなければで良いのですが、ご自身をアウトサイダーだと感じた理由があれば教えていただけますか?
 
KL:子どもの頃のことが影響していると思います。学校ではとても努力しましたが、馴染めたことはありませんでした。家族のことも好きではありませんでした。母と父は金持ちの白人以外のことを全員嫌うような人たちで、生活に喜びがなかったんです。偏見や憎しみは不幸と恐怖にしかつながらないと学びながら育ちました。
 

リスクをとってドキュメンタリーを撮ること

 
――今はどんな題材に関心がありますか? 新作の予定がありますか?
 
KL:南アメリカで子どものための施設を立ち上げている友人の撮影をしています。その前には『Dalton’s Dream』(’23)という映画を撮りました。パンセクシャルとしてカミングアウトしたジャマイカ人のポップスターについてのドキュメンタリーです。
 
でも、なにかトピックが先にあるわけではありません。どんな人に出会うか、どんなものを見つけるか、これに尽きます。普段は会えない人に会えて仲良くなれて、最終的には映画ができる、本当に素晴らしい仕事です。
 
――業界の状況はどうでしょうか。今映画を作ることは難しいですか?
 
KL:今は大変だと思います。Netflixなど(ストリーミングサービス企業)がお金を一番出していて、大きなビジネスになっていますが、シリーズにしなくてはいけないこともあるなど大変です。『Dalton’s Dream』はBBCで配信されていますが、お金は自分たちで出しました。
 
『新宿ボーイズ』を作ったころや10年、5年前はもっとオープンなチャンネル4(イギリスの公共放送局、国有だがBBCとは違い公的資金を受けない)にアイデアを持っていくことができました。私の制作方法は話した通りあまり事前リサーチをするものではないので、どんなものが出来上がるか事前に見せることができないんです。人と一緒に作るので、脚本を用意することはできません。そのようなやり方には対応できないんです。でも放送局はそういうやり方は好まないんですよね。
 
――当時はOKしてくれたんですね。
 
KL:そう、リスクをとったんです。それができる放送局がもっと必要ですね。「何ができるかまだわからないけど、彼女を信頼できるからお金を出す」といったやり方ができるところが。

 

 

 

『新宿ボーイズ』『ドリームガールズ』『ガイア・ガールズ』

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作品データ

製作年:1995

製作国:イギリス

言語:日本語、英語

時間:53分

原題:Shinjuku Boys

監督:キム・ロンジノット、ジャノ・ウィリアムズ

オフィシャルサイト