フォックスキャッチャー:事件の裏側
NETFLIX
2014年のカンヌで脚本賞に輝いた『フォックスキャッチャー』は本当に薄気味悪い映画だった。レスリングのアメリカ代表としてオリンピックの金メダルを勝ち取ったデイヴ(マーク・ラファロ)とマーク(チャニング・テイタム)のシュルツ兄弟と、レスリング好きが高じて自らが監督を務めるチームを結成した大富豪のジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)。デュポン家の広大な敷地を舞台に、3人の関係が静かに壊れていく様を不穏な空気の中で描き出した実に奇妙な人間ドラマだった。
現実の事件と同様に、劇中でもジョン・デュポンはシュルツ兄弟の1人を射殺する。デュポンは精神的にかなり危うい人物として描かれているが、凶行に走った理由がわからない。一体どうしてこんなことが起きてしまったのか? 明解な答えが見つからないまま、とにかく不吉さだけは確実に伝わってきて、よくもこんな薄気味悪い事件があったものだと悄然とさせられる映画である。
NETFLIXオリジナルのドキュメンタリー作品『フォックスキャッチャー:事件の裏側』は、同じ事件の内幕を関係者の回想と彼らが撮っていたホームビデオ等を通じて再構成したもの。驚いたことに、本作には弟のマーク・シュルツがまったく登場しない。本人が協力を拒否した、という可能性は充分にあるが、『フォックスキャッチャー』という映画がこれだけ有名になった後でマーク・シュルツ抜きでこの事件を描くことなんでできるのだろうか?
【マーク・シュルツはほとんど事件と関係がなかった?】
※注意、映画『フォックスキャッチャー』のネタバレ含みます。
ところが、だ。映画化に脚色は付き物とはいえ、映画『フォックスキャッチャー』で描かれたストーリーと現実の事件は大きな部分で異なっていたのだ。そもそもドキュメンタリーにマーク・シュルツが登場しないのは、凶行の舞台となったフォックスキャッチャーファームにマーク・シュルツがいた時期と、デイヴ・シュルツが招かれてコーチを務めていた時期がかぶっていないから。殺害に至るデイヴとデュポンの関係性を追いかけるにあたり、マークはいわば蚊帳の外の存在だったのだ。
本ドキュメンタリーの貴重さは、デイヴの家族やレスリングチームの仲間たちが撮っていたホームビデオ映像が豊富に使われていること。陽気にふざけ合い、同じ目的を共有してトレーニングに励んでいたアスリートたちの日常がいかに壊れていったのかが生々しく伝わってくる。そしてデュポンも奇矯な変わり者ではあるものの、『フォックスキャッチャー』でスティーヴ・カレルが演じた不気味な怪人とはベクトルの違う、戯画化されていないひとりの人間としてビデオの中に登場してくるのだ。
またドキュメンタリーでは、凶行に至るまでの人間関係の推移やデュポンが精神的におかしくなっていく過程も詳細に語られている。愛情に飢えて育った孤独な大富豪が、次第に常軌を逸していった様を多くの人が目撃談として語っているのである。パラノイアに陥り、コカインを常用するようになり、銃を携帯していたという証言の流れからは、得体のしれない闇ばかりが横たわる『フォックスキャッチャー』のようなシュールさは感じない。
【チームフォックスキャッチャーの面々と家族が見た異常な日常】
つまりは映画『フォックスキャッチャー』とは、ノンフィクションではなく「実話に着想を得た創作」だったのではないか? 時系列の変更や事実との相違があることはすでに指摘されているが、本ドキュメンタリーでは事件における重要人物としてマーク・シュルツではなくブルガリア人のヴァレンティン・ヨルダノフが浮かび上がる。ヨルダノフはフォックスキャッチャーに招聘されていたレスリング選手で、デイヴの親友であり、同時にデュポンの大のお気に入りだったという。
ヨルダノフに入れ込むあまり、フランス系アメリカ人であるデュポンが「自分の先祖はブルガリア人だ」と言い出したエピソードは滑稽ですらあるが、ドキュメンタリーを観る限り、ヨルダノフの存在がデュポンのデイヴに対する心証にも大きく影響していたと取れる(実際、ヨルダノフは服役したデュポンをサポートし、莫大な遺産を手に入れた)。取材に答えてカメラの前で語るヨルダノフも映っているのだが、キレイごとを並べたコメントから真意をくみ取ることはできず、事件の複雑さを物語っているように感じられる。
映画『フォックスキャッチャー』は、疎外感を感じていた弟マークと、乗り越えられない大きな壁のような存在だった兄デイヴとの間に、デュポンという狂気をはらんだ父性が介入してくる物語だ。しかしこのドキュメンタリーに於いては、事件の当事者はあくまでもデイヴとデュポンなのだ。
デイヴの家族やチームメイトに共通しているのは「デュポンに問題があることはわかっていたが、まさかあんなことが起きるとは」という寝耳に水のスタンスであり、当事者たちにとってはフォックスキャッチャーファームでの生活もデュポンの奇行も日常の一部だったのだろう。「まさか」の事態が起きてしまったことへの悔恨は本ドキュメンタリーに通底するひとつのテーマになっている。
映画『フォックスキャッチャー』は文句なしに面白い。傑作であることも間違いないのだが、「実話の映画化」だけを観て事件について知ったと思い込んでしまうのはよくある落とし穴。そこから抜け出すためにもこのドキュメンタリーには一見以上の価値があると保証しよう。